何が疲れるといって、自宅〜羽田の移動が一番シンドイ。…欲張って実家からあれこれ持って来るのも悪いんだけど。
さて。
叔父の前立腺ガンが発覚して約4年。闘病生活については母の時もいろいろと思うところがありましたが、叔父の最期の1年については壮絶というか凄惨というか、いたたまれないものがありました。治らない病気の、心身共に辛い期間をわずかばかり延ばすことが何になるのだろう、と。もっとも、こんなに長くなるとは医者も周りも思っていなかったのですが。
叔父は「墓も仏壇も何も要らない、葬式もしなくていいし戒名も要らない、新聞にも載せてくれるな」とよく言っていましたし、遺言にもその旨明記されていたようです。宗教を好まないことと、仕事上の付き合いも広くプライベートでもいろんなジャンルの友人が全国各地に大勢いるような人だったため、死後、妻が対応しきれないことを思ってのことだったと思います。
結局、ごく近い身内と限られた仕事関係者のみに知らせ、数十人でひっそりと見送りました。受付か何か手伝うつもりでしたが、叔父が昨年6月まで社長を務めていた会社の人たちが手伝ってくれていたのでお任せ。喪中ハガキが届けば「何で知らせてくれなかった」という電話やらなにやらがひっきりなしに舞い込むでしょうが、それくらいは奥様に頑張っていただきましょう。
ああ、ウチもハガキ作らなくちゃ。母の時のを流用では芸がなさ過ぎるかな?
共通の友人――友人呼ばわりしていますが還暦のオジサマです――はお通夜が終わってから到着、今日の告別式にも参列してくれました。彼は仕事上で叔父と知り合い、それ以上の付き合いをしていたようです。そのため、叔父の会社の人(ワタクシもよく知っている)曰く「知らせようか、悩んだんですよ。怒られるなーと思ったんですけど。…何でわかったんですか?」。まさかワタクシと付き合いがあるとはツユ知らず、驚いていましたが。叔父も「まーたkatsuraは余計なことして」と怒っているかもしれません。でも、知らせることが出来て、来てくれて、よかったなぁ。華やかな叔父の最期にしては寂しすぎる式だったのでね。
そう、背が高く足が長くすらっとして、正統派二枚目。華やかな存在感のある人で遠くからでも彼とわかるオーラを持った叔父でした。頭がよくて、口が悪くて、せわしなくて、にぎやかで、それでいて人一倍繊細で。「バカかお前は!」何度怒られたかわかりませんが、可愛がってくれました。父の仕事でも一番お世話になり(一緒に徹夜したこともあったなぁ)、母がガンになってからは毎週のように週末には実家や病院に顔を出してくれ、どれだけ母が心待ちにし、支えにしていたことか。
辛い病から開放されたことを喜んであげたい気持ちが強いけど、やっぱり寂しいね、もう怒られることもないなんてね。
最後に、共通の友人氏へ(…って、見てないけど)。
お忙しい中を来てくれて本当にありがとう。お目にかかったのは数年ぶりだけど、相変わらずの色男ぶりで嬉しゅうございましたわ。病院ギライなのは知ってますけどね、ほどほどにしてよねー。
また、逢えますように。


正統派二枚目・叔父様のご冥福を心からお祈りいたします。
最後の1年というのは再発後の1年ですか?長いですよね。。。
うちの母親も再発後の7ヶ月、周りの人間も母と一緒に
片足をあの世につっこんでいるかのような日々でした。
亡くなったときは、痛みから解放されて良かったね…と心から
思いました。
なので、自分が死ぬときはポックリ逝きたいなあ…と勝手なことを考えています。
何はともあれ、お疲れ様でした。
叔父様もKatsuraもね。
私ごとだけど、インフルエンザにかかってしまって。
やっとこ今日から普通の生活をし始めたところです。したがって頭もまわらず、体力もどん底なので、気の利いたことも書けずお許しください。
Katsuraもくれぐれも気をつけて。
やはり親しくしてもらっていたと思う人と一緒に
見送りたいという気持ちありますよね。
忙しい中来てくれるその気持ちがうれしいものです。
素敵な叔父様のご冥福をお祈りいたします。
そして、ごりおさんインフルエンザですか。
どうぞお大事になさってください。
1年前から食べられなくなり、1〜2週間入院して点滴を受けるのを数回繰り返したのですが、昨年末、またそのつもりで入院したところ、点滴するとガン細胞が活発になり急激に悪化するからと点滴を受けることも出来ず、痛み止めだけを投与されて死を待つばかりの日々となってしまいました。4月下旬にホスピスに転院したのですが、そのこともショックだったらしく、気力をなくして抜け殻のような叔父を見たときにはかける言葉がありませんでした。
あんな辛い状態が続くより、点滴して1日でも元気な日があった方がよかったのでは、と思えてなりません。鬱のせいもあるとはいえ、殺してくれなんて言わせたくはありませんでしたね…。
ぐっちさんのお母様も痛みがひどかったんですね。ウチの母は酸欠では苦しんだものの、痛みはあまりなく痛み止めも効いたので少しは楽だったかなという気がします。見ている方も辛いですよねぇ。私もぽっくり死にたいものです。できれば、早めに。
この叔父には家族そろって散々お世話になったにもかかわらず、何もすることが出来なかったわ。父が誰よりもマメに見舞ったり家族の相談にのったりしてくれていたのは救いかなー。
インフルエンザ!それは大変だったねぇ。実はかかったことないんだけど、虚弱に高熱は辛いよね。寒い上に日照時間の短い季節は心身共にダメージを受けるから、くれぐれも無理せずお過ごしくださいませ。お大事に。
私がとやかく言う立場ではないけど、叔父の望むようにはならなかったので果たしてこれでよかったのかという思いはあるのよねー。とか言いながら、この友人に連絡しちゃったんだけど。
ちなみに母の時は生前の言いつけを守り、2人しか連絡しませんでした。他の友人たちにはずいぶん怒られちゃったけど。あ、でも「死ぬ時はお父さんとkatsuraだけいればいい、兄弟には知らせるな」って言われてたんだっけ。死の前日から病室中親戚だらけになっちゃったなー。まあ、周りの病室に迷惑をかけるというのが理由だったから、会いたかったんだと思うし会わせることが出来てよかったと思ってるけどね。